揺れる想いは万華鏡

シェフの気まぐれ

介護体験とプロパガンダ

プロパガンダ(羅・英:propaganda)は、特定の思想・世論・意識・行動へ誘導する意図を持った行為である。」

 

ということで木金と続いた特別支援学校での介護体験が終わりました。疲れました。介護体験が終わったら自分なりの感想を書こうと思ってました。(1ヵ月1000人くらいのアクセスがあるので後世のためにも)

 

ぶっちゃけた話、前日(水曜日)は本当に行きたくなかったです。法案を制定した田中真紀子を死刑にしろと叫んでいました。そもそも互いにメリットもないどころかデメリットしかないのが理由でした。体験が終わったら文句をいっぱい書いてやろうと思っていました。

 

まぁ、感想から言うと楽しかったです。疲れましたが。特別支援学校で働いておられる先生方を尊敬せずにはいられません。同じクラスでも持っている障害はそれぞれ。同じ中学三年生でも担任の先生とコミュニケーションが取れ漢字や数学が出来るような子もいれば、数が5までしか数えられないような子もいる。そんな中でクラスを形成していくのは本当に努力の賜物であると痛感しました。自閉的でどれだけ喋ることが苦手でも表情は動く。

自分が体験させていただいたクラスは6人でしたがそのうち1人とは最後まで言葉を発してくれませんでした。けれど、親身になって話しかける中でちょっとした行動を起こしてくれました。一緒に話したら笑ってくれたり、一緒に荷物を運ぶときに行こう、と肩を叩いたらすっと立ち上がってくれたり。本当に安心しました。後から聞いた話ではその子は年相応の理解力はあるけれど自閉的傾向が強すぎて両親以外とは一切喋らないそう。

ちょっと個性が強くて、ちょっと変わっているだけで世の中から排斥されるのは本当に不憫だと思いました。そして、自分もそのような見方をしてしまって居たことを改めないといけないと思いました。例えば電車の中で呻き声をあげたり、無限に歩き回っている人。今までは避けてきましたが、彼らも何かしらの意図があって結果その行動に帰着しているのだと気づきました。

特別支援学校はそういう子どもたちに対して確かな道しるべとなっていることを痛感しました。その子たちが18歳になって生きてゆく道を作るための学び舎としては最高の環境だと思います。

教室にあるものすべてが教材である、とよく言いますが本当にその通りです。例えば、今日の予定の所に文字の横にそれを表す絵が書いてありました。それは僕らからみれば何の変哲もないものですが、彼らからすれば本当に本当に大切なものだそうです。次の日に急にその絵がなくなっているというイレギュラーがあるとすぐに臨機応変に対応できる人も多いですが、対応できずに「なぜ絵が無いのか」とそちらに気を取られて何も頭の中に入らなくなってしまう子もいます。そこも言い換えれば個性なのです。

彼らにはよき理解者がたくさんいます。本当に素晴らしい環境です。その環境に片足を踏み入れただけで視野がとても広がりました。たった2日間の体験でしたが実りの多いものになったと思います。彼らのこれからの活躍を期待してこの文章の締めくくりとさせていただきます。(了)

 

ということで来週模擬授業なのに教案使ってません、オワオワリ