揺れる想いは万華鏡

Gaming Group "AG" official blog. This blog is written by さめじゃ,とむじ,みり ampersand まらじ.

桜島麻衣とぼくと…

青春ブタ野郎シリーズを最新刊まで読んだのでぼくの思うことでも。

(多分ネタバレないです)

 

人生は死ぬまでの暇つぶし、なんて言葉がありますがぼくはそれが嫌いです。

とは言っても内容が意に介さない為ではなく多くの人がこの表現を使っているから嫌いな訳であります。まぁカッコいい車があったとしてそれが5台も並んでたらダサく見えなくもないよねっていうアレと同じです。自分も最初の言葉に対してはどちらかというと肯定的な意見を持ってます。その暇つぶしですることがなくなった結果、死にたいなぁなんて思ったことも幾度となくあります。最近はちょっと考え方が変わってきましたがそれはさておき。

本題に入りますか。人から良い意味で認識される、ということで満足感を得る人というのはどうやらこの世の中に一定数存在するようで巷の言葉では承認欲求、なんて言ったりもするようです。つまり、認識されないことは人にとって辛いことではありますが、その反措定である認識されすぎることもときには辛いことであるということにぼくは今まで気づいていなかったのかもしれません。気づいていなかったと言うよりは興味が無くて考えたことのなかっただけかもしれませんが。ぼく自身の話はどうでも良いかもしれませんが、実はちょっと絡めさせてください。他者からの認識を表面上は必要としていなかったとしても、人間一人で生きていくことは出来ませんしするべきではないでしょう。そして、心のどこかでは認識を求めているのだと。あぁなるほどね、と納得しました。じゃあ、誰からの認識を求めているのか?それはもしかしたらこれからの人生で見つけることなのかもしれません。

なんて終わり方はあまりにも投げ槍なのでしませんが、ぼくの場合だともう答えは出ているんだと思います。幾ら話しかけても少し論点のずれた話をされるとさすがに気づきます。皆さんはどうでしょうか。

話は変わりますが、ぼくは自分の親の話が好きです。だけれども、これも人とは少し違って自慢の母親とか誇れる父親とかではなく自虐的な所での話です。確かに親は親らしいことをしてくれましたが事あるごとに価値観を押し付けて来ました。「親が好きか?」と聞かれたらば「嫌い」と答えるでしょう。これはぼく個人の意見で答えているわけではないです。答えさせられている、と言う表現が最も正しいでしょう。そういう考えをぼく自身が持っていることもこの作品を気に入った要因の一つではあると思います。そしてこの点において作品から得たものもありました。

基本的に登場人物に対して没入した考え方をせず、第三者視点から読むことが多いのですがこの作品に関してはシリーズを通して読む中で、同じ視点に立たずとも深い考え方を強制的にさせられたという風に感じました。

かなりおススメの一冊でしたし、今アニメもやっているので見てみるのもまた一興かなと思いました。映画はぼくの嫌いな巻をやるみたいなので諸説ありますが。

最後に言っておくならばぼくはハッピーエンドが嫌いです。

 

最後に一番大事なことなのですが、

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かわいい。

かわいいのは勿論なんですが、ぼくは桜島麻衣が好きなんじゃなくて「咲太と桜島麻衣がイチャイチャしてる」のを見るのが好きなことに最近気づきました。つまり、桜島麻衣は部分集合でした。ゆーてかわいいから好き。

最後にこの記事のタイトルを考えて終わりにしたいと思います、それでは。